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著書(共著)  >> 単著(『阿闍世王の救い』・英語論文全文など)

番号 書籍タイトル発行年月出版社ページ
担当論文タイトル
概要 : 新しいものから古いものへ順に並んでいます。番号は発行順です。

32 『心の病と宗教性―深い傾聴』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹・海野マーク・
岡田康伸・倉光修編)
2008(平成20)年10月 龍谷大学
法藏館
全318頁
概要
 本書では、洋の東西において、知的・文化的生活において重要性を増している課題の一つである「仏教と心理療法の総合的研究」というテーマに取り組む。仏教も心理療法もともに、人間の苦悩の現実と原因をありのままに知り、心の拠り所を築きながら、現実のなかで生きる意味を見いだすことを願いとする。本研究の目的を、仏教と心理療法における人間理解と救済への道筋を相互に開示し、理論的、かつ臨床的な次元から、両者の接点を解明することに絞る。本書は、オレゴン大学ヒューマニティセンターにおいて「深い傾聴―仏教と心理療法の接点」の国際会議の成果を収録している。深い聴聞(ディープリスニング・ディープヒアリング)は、審判を加えずに、そばによりそう慈悲である。深い人間理解は、相手に対する分析や評価によってのみもたらされるものではない。自己と相手の底に流れる深いいのちの絆が確立されることによってもたらされる。

担当論文:「アジャセ王の救いの物語―月愛の意義」
31 『人間・科学・宗教ORC研究叢書7
仏教と生命倫理の架け橋』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹・井上善幸・M・エッケル編)
2008(平成20)年7月 龍谷大学
法藏館
全237頁
概要
 新しい生命操作の技術が進展する時代にあって、人はその技術をどのように用いれば、いのちの尊さを守ることになるのかわからなくなっている。だからこそ私たちが、二千五百年以上もつづいてきた仏教の真理、また、世界のそれぞれの宗教的な真理に照らして、命の尊さを守る道について真摯に悩み考えつづけることが求められる。
  本書では、第一部において、仏教研究者のマルコム・デイビッド・エッケル教授とキリスト教神学者のジェイムズ・ウォルター博士の論文を収録している。第二部では、アジアにおける仏教と生命倫理について見つめ、スタンフォード大学のロナルド・仲宗根教授やタイのマヒドール大学のピニット・ラタナクル教授、ピタック・チャイチャルーン教授の講演とレスポンデントを収録している。ロナルド・仲宗根教授は、仏教の縁起の視座が、一つの固定的な倫理や答申に縛られずに、想像力と創造性を生み出すことができると論じている。第三部では、生命倫理におけるプライバシーの課題について、龍谷大学法科大学院の石塚伸一教授が法学と倫理学の角度から考察している。また、正まき子氏は、阪神淡路大震災を経験したことが縁となって、神戸にある「人と防災未来センター ひと未来館」のインストラクターとして従事し、数多くの来館者に、その防災と命の尊さを伝えてきた。第四部では、一つは、龍谷大学の鍋島直樹が、真宗学の角度から、縁起思想に基づく生命倫理学をまとめています。かけがえのないいのちを大切に思う、その正解は一つではない。それぞれの縁と努力によって、その人にふさわしい答えを見出していく以外にはない。それが、この論からのメッセージである。もう一つは、龍谷大学の井上善幸准教授が、真宗学の立場から、親鸞の慈悲理解の背景について深く考察している。

担当論文:「縁起の生命倫理学―智慧と慈悲」, 167-205頁。
30 『宮沢賢治の銀河世界 みんなのほんとうのさいわいをさがしに』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹編 龍谷パドマ9・図録)
2007(平成19)年11月 龍谷大学
河北印刷
全112頁
概要
 宮沢賢治(1896年8月27日生〜1933年9月21没)はこう記している。「みんなむかしからのきょうだいなのだから けっしてひとりをいのってはいけない。」(『春と修羅』「青森挽歌」)「自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり、生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して、これに応じていくことである。」(『農民芸術概論綱要』)ふりかえってみると、私たちの世界ははたして一つの意識になっているだろうか。私たち人間は、銀河系のなかにすむ兄弟として助け合っているだろうか。戦争やテロ、虐待や自殺の連鎖は、人々が相互に理解できずに、それぞれの闇の中でうずくまっていることを示している。大切なのは、仏教の縁起思想が示すように、あらゆるものが相互に支えあい、思いやりあうことだろう。宮沢賢治が示すように、人間と動植物、さらには宇宙との一体感は、あらゆるいのちへの感謝と慈しみを生みだしていく。
 この展示に際し、岩手県花巻市、宮沢賢治記念館、宮沢賢治学会イーハトーブセンター、林風舎の宮澤和樹代表取締役、木版画家の井堂雅夫氏ならびに佐藤国男氏、アインシュタインLOVE日本実行委員会、日本医師会にご協力をいただいた。皆様のおかげにより、特に、宮沢賢治記念館による『特別企画展 風の又三郎』、『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』直筆原稿複製、宮沢賢治と妹トシ、弟宮沢清六、岩手軽便鉄道の写真などを展観し、その意義をたずねることができる。
29 『死と愛 いのちへの深い理解を求めて』
文部科学省
オープンリサーチセンター整備事業
人間・科学・宗教
オープンリサーチセンター
鍋島直樹編、
種村健二朗、布施豊正(他16名、14番目)
2007(平成19)年1月 龍谷大学
法藏館
231-255
概要
 本書では、終末期ケア・自殺の理解とその防止・スピリチュアルケア・仏教と心理療法・浄土教における往生観・救済観・慈悲観について、15名の研究者が学際的に協力して解明している。「死と慈愛」の拙論においては、死を通して生まれてくる慈愛、死に直面した人々の願いに注目しながら、源信・法然・親鸞らが、その死をどのように見つめ支えてきたかを明らかにしている。仏教を背景とするビハーラ・ケアは、支えあって生かされているという縁起思想に基づき、人々の痛みに寄り添い、その人らしい生を完遂することができるように支援するケアであることを論じた。

担当論文:「死と慈愛 源信・法然・親鸞における死の超克」,231-255頁。
28 『DVD宮沢賢治の銀河世界
―賢治の素顔が見えてくる 』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹・宮澤和樹著,
協力:林風舎 )

2006(平成18)年09月

龍谷大学
方丈堂出版
122分
概要
「まずもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空にちらばろう」。 宮沢賢治(1826-1933)は、37歳で短い一生を終えた。亡くなる前夜、賢治はそばで看病していた弟の清六に「この原稿はみなあげる。小さな本屋さんからでも出したいといわれたら発表していいよ」と話した。それは弟に託した兄の深い願いであっただろう。宮沢清六は2001年に97歳で亡くなるまで、兄のトランクにしまってあった賢治の作品を、賢治を愛する人々とともに世界中に広めた。このDVDでは、宮沢賢治の弟、清六の孫にあたる宮沢和樹が、賢治の素顔を語っている。帽子をかぶってコートをはおりうつむく賢治の写真の秘密、賢治と仏教の心、『雨にもまけず』に秘められた賢治の願い、『銀河鉄道の夜』にでてくるタイタニック号の話、賢治の描く銀河に広がる愛などについて明かされる。戦争や殺人の絶えないこの世界に、美しく透明な賢治の心を少しでも届けることを願って製作された。特典1:宮沢賢治・民家の世界。特典2:「林風舎」紹介
27『死を超えた願い−黄金の言葉』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹編 龍谷パドマ7・図録)
2006(平成18)年06月 龍谷大学
河北印刷
全66頁
概要
 人は、愛するものとの別れや死の予感を通して、いのちのかけがえなさに気づく。自分自身の死、また、愛するものとの死別の悲しみを、人はどのように受けとめたらよいのだろうか。この書では、先人たちのあらわした「黄金の言葉」を通して、生死を超えた真実、まことの愛を学ぶ。一つは、仏教の流れに沿って、釈尊、源信、法然、親鸞・恵信尼が、いかに病人を看取り、どのようにして死を超える道を見出していったかについてたずねている。もう一つは、九条武子・足利義山・甲斐和里子・中村久子・鈴木章子・村上速水・信楽峻麿・青木新門・妙好人浅原才市・お軽などのあらわした言葉を抜粋して、死を超えた願いと安らぎについて学んでいる。本書出版には、中村久子女史顕彰会の代表三島多聞様・中村富子様、妙好人[石見の才市]顕彰会の安楽寺の皆様に協力を賜った。また、ガンダーラ仏教美術の研究者である欧亜美術の栗田功氏の協力により、紀元2〜3世紀頃のTalberra出土のStucco、仏頭や貴重なガンダーラ、ハッダ地域の仏像、涅槃像、仏伝レリーフなどを掲載している。約1700年以上も前に創られた仏像の微笑や仏伝レリーフの物語は、時を超えて見るものに安らぎを与えてくれる。
26 『人間・科学・宗教ORC研究叢書2
仏教生命観の流れ 縁起と慈悲』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹・長上深雪・嵩満也編)
2006(平成18)年06月龍谷大学
法藏館
128-168
概要
 この書では、仏教生命観の縁起と慈悲が、釈尊から、大乗仏教、華厳思想、唯識思想、浄土教、特に親鸞にどのように展開しているかを解明した。また、現代世界の科学と宗教の相互関係、仏教社会福祉と仏教生命観の関係、仏教生命観からみた環境問題についても考察している。支え合って生かされている事に気づく時、人はいのちあるものすべてに慈愛をもつようになる。その慈愛が、釈尊から親鸞に至るまでどのように展開してきたかを明らかにしている。

担当論文:「親鸞思想にみる生命への視座―浄土教における仏教生命観の展開―」, 128-168頁。
25 『いのちへの慈愛
宮沢賢治・民家の世界』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹編 龍谷パドマ6・図録)
2005(平成17)年11月 龍谷大学
方丈堂出版
1-60
24Jensine Andersen, ed. Issues for the Millennium, cloning and genetic technologies 2004 (forthcoming)Cambridge University Press
"Bioethics of Interdependence: Shin Buddhist Reflections on Human Cloning"
(forthcoming)
23日本医師会第VIII次生命倫理懇談会
『医療の実践と生命倫理についての報告』
(日本医師会会長 坪井栄孝/生命倫理懇談会座長・日本医学会長 森亘)
2004(平成16)年3月日本医師会1-38
 平成14年4月から2年間かけて、東京本部において日本医師会第[期生命倫理懇談会が定期的に開催され、『医療の実践と生命倫理』というテーマについて、客観的な情報を認識確認しながら、12名の有識者がそれぞれの生命倫理について専門的知見を提示し、相互に尊重しあい高めあいながらまとめられた報告書である。この成果となる報告書は日本全国の医師会を通じて医師に届けられ、また、日本の医療のあり方を考える厚生労働省にとっても一つの指標となるものである。今回の報告書には、先端医療の現状や欧米の法と倫理に関して検討を加えるとともに、仏教における生命の尊厳の見方、日本浄土教における死の看取りの歴史と意義、尊厳死、安楽死に対する仏教からの視座なども盛り込まれている。概要は、森亘座長(日本医学会会長)によってまとめられ、全体の構成は次の通りである。
 第一章 医師・患者関係(医師・患者関係における信頼確立への手だて。など)
 第二章 自己決定(欧米諸国における「自己決定」、日本における患者の自己決定と医師の対応、など)
 第三章 出生(着床前診断・出生前診断、不妊治療、胎児の尊厳、など)
 第四章 末期医療と患者の死(末期医療の考え方、人間の尊厳、尊厳死、安楽死、ガイドラインと医師の裁量権、など)
 第五章 医療と社会(医療人としての自己管理(ガバナンス)、法と倫理、遺伝子解析、国民皆保険制度、など)
 なお、日本医師会の次のサイトで公開されています。
 http://www.med.or.jp/nichikara/seirin15.htmlhtmlファイル)
 http://www.med.or.jp/nichikara/seirin15.pdfpdfファイル)
22『人生の終末・心の安らぎ
 ― 国宝山越阿弥陀図之復元』
人間・科学・宗教
オープン・リサーチ・センター
(鍋島直樹編 龍谷パドマ2・図録)
2003(平成15)年10月龍谷大学
方丈堂出版
1-48
「人生の終末の看取りとビハーラ ― 死と慈愛」
「山越阿弥陀図解説」
 『国宝・山越阿弥陀図(永観堂禅林寺所蔵)の精密な複製に基づく原寸大復元』を作成展示するにあたり、この図録を作成した。この展示に際し、「国宝 山越阿弥陀図」を所蔵されている永観堂禅林寺様、並びに東京国立博物館の松原茂氏に格別のご高配をたまわった。永観堂禅林寺所蔵「国宝 山越阿弥陀図」を原寸大で復元する目的は、中世の日本人たちが阿弥陀仏の来迎を信じて、死にゆく人を看取り、悲しみを共有しながら、仏の慈悲に摂取されていったことを、現代の私たちが体感的に学ぶためである。あわせて静遍僧都(-1224)の足跡を慕い、日本浄土教の智慧と慈悲を知る縁ともなる。図録には、また研究論文4篇、すなわち、浅井成海「浄土教における来迎観―法然から親鸞へ」、内藤知康「親鸞における往生観」、友久久雄「いのちの不思議さ―宗教と科学の接点」拙稿「人生の終末の看取りとビハーラ―死と慈愛」および、展示の解説、拙稿「山越阿弥陀図解説」などが収録されている。
21『宗教と科学
 ― 仏教の宇宙観と近世の科学書』
人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センター
(武田龍精編 龍谷パドマ1・図録)
2003(平成15)年6月龍谷大学
方丈堂出版
17-32
「仏教と科学の歴史」
 仏教は、世俗の迷いを超える智慧と、生きとし生けるものへの慈悲を重んじたので、古くから一般社会に浸透していた生け贄、呪法、占星術を行うことは、不必要であった。
 仏教では、日光菩薩や月光菩薩に代表されるように、太陽や月の大いなる自然の恵みに感謝し、とらわれのないさとりの安らぎを、海や川、空や山、花々や動物などの万物に譬えて表現している。仏教徒は医学や薬学をはじめ、紙や墨の製造と印刷技術、鋳鉄の技術、建築・土木技術をはじめとする最先端の科学技術を取り入れながら、経典の記録と編纂、寺院や病院建設、仏像の鋳造や彫刻をすすめ、世界の各地に伝道していった。またインドにおいて、ゼロや分数の記載法が発見され、それに加えて、十進法、アラビア数字の紀元となる数字表記法、二次方程式、近代の微分に近い計算法も生みだされた。ゼロの発見は、一切の執着を離れた仏教の空や無我の思想との関連があるとされている。
 科学は、自己の外界に向かって、人間を含めた宇宙の現象を客観的に分析し、その法則性を明らかにし、その成果を現実社会に応用し、より快適な生活をもたらすことをめざしている。それに対して、仏教は、ひとえに自己の内に向かって、苦しみの現実と原因を見つめ、仏道修行を通じて、全人格的な成長を遂げ、心の安らぎを確立することをめざしている。したがって、自己をありのままに見つめることに焦点をおいた仏教は、宇宙や自然現象を客観的に観察し、それを機械論的モデルとして捉える視点が発達しなかった。この論では、仏教と医学との歴史などに焦点を絞りながら、両者のあるべき関係について論じた。
20J. Wentzel Vrede van Huyssteen, ed. Encyclopedia of Science and Religion2003 JuneMacmillan Reference, volume 1 and 2, , New York 81-87
"Buddhism, History of Science and Religion"
  In this paper, I described the relationship of science and Buddhism in historical context, taking account of Mayayana, Tharavada, Tibetan, Pure Land and Zen Buddhism in Japanese, Korean, Chinese, Tibetan and Southeast Asian context. I indicated how Buddhism created a context for science prior to Western influence. Review how Buddhism accommodated early introduction of Western science to Asia. I also took note of other entries in this cluster: Fundamental Buddhist idea, Contemporary Issues in Science and Religion.

  ボストン大学ジェンシン・アンダースン教授とのご縁で、ニューヨークにあるマクミラン社の『宗教と科学』辞典(全2巻)に、鍋島論文「仏教:科学と宗教の歴史」(英文)が掲載されている。本研究成果は、主として、歴史的な脈絡に沿って、釈尊からダライラマの現代にいたるまでの仏教の伝統と科学の進展とが今まで相互にどのような関係であったかを概観したものである。科学と仏教との両者のものの見方の独自性を明らかにし、宗教と科学とが相互交流することを通して、地球と人間に恵みをもたらす方向を構築していくことができることをも明らかにしている。仏教のものの見方の独自性を、縁起、無常などの根本思想に焦点をあてて論じている。仏教から科学のあり方に対する一つの指標を示したところにこの論の特質がある。
19瓜生津隆真博士退職記念論集 『仏教から真宗へ』2003(平成15)年3月永田文昌堂423〜448
「浄土教における生死観」  【全文:pdfファイル】
 仏教において「生死(しょうじ)」とは、何を意味するのであろうか。この論では、仏教における生死の原意趣を探り、生死流転の根拠、原因が何かについて明らかにする。次いで、浄土教における龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然が、生死の現実をどのように捉え、生死輪廻の迷いをどのように超えていったかについて考察した。
 何よりも重要なことは、これらの浄土教の先師たちが、生死の憂いや悩みを自ら実感していたことである。この世が汚れ乱れ、苦しみに沈んでいる現実を悲しみとして実感したからこそ、七祖は生涯をかけて、生死を超える道を求めたのである。これらの浄土教の先師たちが一貫して記していることは、生死輪廻の苦しみ・罪の世界が、出離すべき世界でありつつ、また同時に、さとりを得た後、慈悲心をもって、生きとし生けるものの苦しみを抜き救うために、還ってくる世界でもあったといえるだろう。
18平野武編『現代社会における医療・生命・環境』2002(平成14)年5月晃陽書房212〜231
「縁起とエコロジー ―共生の原意趣」
 仏教における信心には、自己のありのままの姿に気づかせ、人生の理想的な指標を与えるという智慧としての働きと、自他ともに苦しみを和らげ安らぎに導いていくという慈悲の働きをあわせもっている。この論では、はじめに、「共生」という言葉のルーツを探るために、その原語であるシンバイオシスの意味、人類の地球環境問題への取り組み、および仏教における共生の内容を明らかにした。次に、その共生思想を支えている縁起思想の基本的な定義をみたうえで、仏教における縁起共生にもとづくエコロジーを提示した。仏教徒は、あらゆるものへのわけへだてない慈愛と感謝を通して、生態系の支えあいと循環がつづいていくように、他の生命を保護することを願っている。縁起思想および浄土教が提示してきた共生思想は、「平和的共生と生命循環の倫理」(Ethics of harmonious co-existence and circle of life)と呼ぶことができる。自然環境の略奪と破壊は人間の心から生まれるものである。だからこそ、人の心の中にあらゆるいのちと共生する思いやりを育んでいかなければならない。
17『親鸞思想の研究』 真宗学105・106合併号 岡亮二・山田行雄定年退職記念特集刊行2002(平成14)年3月龍谷大学真宗学会
永田文昌堂
319〜350
「親鸞における生死の現実」
 生死輪廻の「生死(しょうじ)」とは梵語jar-maraaの漢訳ともいわれ、「生まれることと死ぬこと」を指し、「輪廻」とは梵語サンサーラ(sasra)の漢訳で、「車の輪が回転してきわまりないように、衆生が三界六道の迷いの世界を生まれ変わり死に変わって流転すること」、または、「迷いの世の中、迷いの生存形式」を意味する。親鸞.は、仏教の生死観を継承しながら、生死の現実をどのように捉え、また生死の迷いを出離する道をどのように明かしているだろうか。親鸞の生死観を明らかにするために、親鸞の見出した生死の現実とその超克を、七つのキーワードに分けて考察する。この論は、親鸞の生死観の前半にあたる。親鸞が生死の現実をいかに捉えていたかについて、四つのキーワードに絞って考究した。また仏教が、なぜ「死生」という表現よりも、「生死」という表現を重んじてきたかについて明らかにした。
16AERA Mook『文化学がわかる』2002(平成14)年3月朝日新聞社92〜97
「死 仏教版ホスピス「ビハーラ」のめざすものは」
 死に直面する時、人は自己の人生の意味をふりかえり、真の優しさと慈愛にめざめる。
現代ホスピスの設立者の一人シシリー・ソンダース博士は、一九六七年にセントクリストファーズ・ホスピスを創設し、信仰・理念・愛に基づくケアを実践している。シシリー博士は、「ホスピスとは耳を傾けることである」という。患者が望んでいるのは「誰かが自分のことを理解しようとしてくれること」だというのだ。キリスト教を中心として進展してきたホスピスと同様に、仏教においてもそのような看取りの歴史がある。仏典には、ブッダは「病を看取ることは、自分自身を看取るのと異ならない」と説いている。死にゆく人を看取る自分自身が、逆にその病める人から、はかなくも、かけがえのないいのちの姿を学ぶとブッダは説いた。ブッダ自身、死に臨んで、「あらゆるものは無常である。これからは、あなた自身を灯りとして大切にせよ。法を灯りとして大切にせよ。教えを実践するあなたの心の中に、私はいつも生きている」と弟子に語った。仏教は、あらゆるものは相互に支え合っているという縁起の真理を学び、生きとし生けるものの安らぎを願って、心の成熟をめざす宗教である。病気もまた一つの人生の姿としてありのままに自覚し、その現実の苦しみから解放された心を確立していくことをめざしている。仏教徒の多く住む地方では、寺院において薬の研究や製造が盛んに行われたと伝えられている。なぜなら仏教徒は、病気を祈願請求によって治すのでもなく、運命としてただあきらめるのでもなく、医師に診断された病気として理解し、医学的な治療を受けて少しでも快方に向かうように願ったからである。仏教は医療という領域に対し、敬意を示してきたといえるであろう。
一九八五年、田宮仁氏は、「仏教を背景としたターミナルケア(終末期医療)施設」の呼称として「ビハーラ」を提唱した。現在では、「患者とその家族を孤独の中に置き去りにしないように、全人的に支援する活動、およびその施設」のことを指すようになった。「ビハーラ」(Vihara)とは、サンスクリット語で、「精舎・僧院」「身心の安らぎ・くつろぎ」「休息の場所」を原意とする。誰もが抱える「生・老・病・死」の苦悩について、医療や福祉と共に、仏教徒も責任をもって応えていきたいという願いのこもった言葉である。
15『仏教をいかに学ぶか ―仏教研究の方法論的反省』2001(平成13)年10月日本仏教学会編
平楽寺書店
83〜100
「真宗学の目的と領域―エンゲイジド・ピュアランド・ブディズムの探求」
 真宗学とは、親鸞によって体験され組織化された真宗教義の意義を解明し、それが普遍的な仏教の真理であることを体系的に論証する学問である。この真宗学は客観的・理論的解明と信仰的・仏道的思惟との両面を併せ持っている。親鸞は「他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は本願を信じ念仏をまうさば仏になる、そのほかは何の学問かは往生の要なるべきや」(『歎異抄』第十二章)と明かし、学解往生の異義を批判している。その意味で真宗学は、研究者自身が本願を聞信することを通じて人間的に成熟し、他者とともに成仏をめざすものであって、他との優劣を競うことがその目的ではない。この論考では、第一に、村上速水「親鸞教義の特殊性と普遍性」および信楽峻麿「真宗学方法論序説」によりながら、真宗学の目的、領域、方法について再考察する。第二に、アルフレッド・ブルーム「世界に関与する浄土教(Engaged Pure Land Buddhism)」の理念を紹介し、人の苦しみの解決に関わる真宗学の姿を探求したい。
14龍谷大学善本叢書『三帖和讃』2001(平成13)年5月仏教文化研究所
同朋舎出版
656-668
「勢至和讃の位置と意義」
 勢至和讃の根拠となる『首楞厳経』は、唐の般刺密帝訳『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』十巻である。首楞厳は梵語シューランガマ(ragama)の音写で、「健相」「健行」「一切事究竟堅固」と漢訳され、迷いを摧破する勇猛な仏の三昧を意味する。なぜ親鸞は『首楞厳経』に注目したのかについて、この論で明らかにする。その一つの理由としては、親鸞が異性に惑う阿難の姿に自らの姿を発見し、迷える人間を救うことが仏の本意であることを、この経典に見出したからである。また親鸞の注目した『首楞厳経』第五巻は、すでに中国・日本の浄土教の数多くの註疏において引証されていたことも理由の一つにあげられる。第三の理由としては、親鸞が、首楞厳三昧を念仏三昧と解釈し、『首楞厳経』は浄土念仏の教説の源流であり、智慧の念仏を説いた経典であると見たからである。その他、この論では、三帖和讃における勢至和讃の概要とその位置づけについて明らかにした。
13『日本浄土教と親鸞教学』 真宗学99・100合併号 普賢晃寿定年退職記念特集刊行1999(平成11)年3月龍谷大学真宗学会
永田文昌堂
325〜379
「親鸞における愛別離苦への姿勢 ―死別悲嘆のケアとその超克」
 愛別離苦に伴う悲しみを親鸞がどのように受けとめ、どのように超克したかについて考察した。まず仏教における愛別離苦の把捉、親鸞における愛欲の把捉を明らかにした。次に『口伝鈔』第十七章と第十八章に注目し、そこに見られる親鸞の死別悲嘆への姿勢を考察した。最後に悲嘆の意義、親鸞における愛別離苦の受容と超克について三つの角度から考察した。親鸞は悲嘆のプロセス全体に同苦的、継続的に関わりながら、悲嘆に左右されない永遠的な解決を示している点について論じた。
12『蓮如上人研究教義編』1998(平成10)年3月永田文昌堂301〜347
「蓮如における無常観の特質(一)」
 この論の構成は、仏教における無常の原意趣、蓮如の『御文章』にみられる無常の全データ、無常の強調された思想的背景とその特徴から成っている。
11『親鸞和語聖教の研究』 真宗学97・98合併号 浅野教信定年退職記念特集刊行1998(平成10)年3月永田文昌堂341〜380
「親鸞とその門弟における死の超克 ―乗信房・有阿弥陀仏・随信への書簡等にみる親鸞思想の円熟」
 親鸞は62、3歳頃に帰洛した後、数多くの書簡を関東の門弟に書き送っている。その書簡の中で、死と救済に関連した書簡資料だけを整理し、特に乗信房、有阿弥陀仏、随信房への書簡、および『弥陀如来名号徳』などによりながら、親鸞の「諸仏にひとし」の思想、摂取不捨の思想的意義を明らかにした。また『弥陀如来名号徳』には、『西方指南鈔』とほぼ同じ記述が見られ、法然に対する思慕が表れていることを指摘した。結論として、親鸞における真実信心は、平生摂取型、全人的成長型ともいうべき特質を有していることを明かし、親鸞における死の超克が、反復的な自力観想によって、臨終まで仏の来迎を「待つ」「期す」ところにはなく、畢竟依なる仏を拠り所として、平生から自己自身が仏に等しき人格に「成る」こと、「定まる」ことによって、遂げられていったと理解されていたことを論じた。
10平野武編『生命をめぐる法・倫理・政策』
龍谷大学社会科学研究叢書32
1998(平成10)年3月晃洋書房151〜198
「キリスト教と仏教からみた中絶の問題 ―中絶に関する欧米の相違を踏まえて」
 まず欧米のキリスト教が中絶をめぐって許容派(permissive stance),禁止派(restrictive stance),穏健派(moderate stance)の三つに分かれて議論されてきたことを考察した。次に、日本における中絶問題を、母体保護法までの経緯とその二重構造に注目して考察した。第三に、仏教からの中絶に対する姿勢を、(1)女性の地位向上と自己決定権の保護、(2)子供を生み育てやすい社会システムへの推進、(3)生命教育の推進、(4)胎児の尊厳性に対する配慮・・・・仏教における生命観、(5)中絶後の心のケア・・・・ポスト・アボーション・シンドローム の5点から論じた。最後に、キリスト教と仏教とが果たしてきた意義の相違について整理した。一つは、キリスト教の神学者が、中絶が許されるか否かについて、権利の有無、選択の是非の視点から議論したのに対し、仏教徒は、やむなく中絶した後に生じる親の心の傷をどのように支えるか、そして亡くなった胎児はどうすれば救われるかといった、中絶後の心のケアについて取り組んできたという点である。またキリスト教が、妊婦の自己決定権と胎児の生存権と分け、そのバランスをはかろうとするのに対し、仏教は、妊婦と胎児との自他一如の関係を重んじてきたという点である。クリスチャンと仏教徒が特色ある視点を相互に学びながら、生命操作への姿勢を考える必要性を論じた。
9西光義敞編『親鸞とカウンセリング』1996(平成8)年3月永田文昌堂146〜177
「被災心理と心のケアを考える」
 大震災で家族や家を失い、心に深い傷を負った人々の心理を紹介し、あわせて仏教者が震災という大災害をどう受けとめようとしてきたかを明らかにする。今後起こりうる震災の際に、被災地の人々を支援する手がかりをこの論で表した。この論では、まず被災者に共通する被災心理や心の傷の諸相を分析し、特に自分だけが生き延びたことの罪責感が大きいことに注目した。次に、その心のケアと仏教からの精神的支援のあり方を、事例をあげながら9点にわたって論じた。
8『親鸞教学の研究』 真宗学91・92合併号 信楽峻麿定年退職記念特集刊行1995(平成7)年3月龍谷大学真宗学会
永田文昌堂
379〜406
「親鸞とその門弟における死の受容 ―覚信・慶信との交流」
 親鸞とその門弟である覚信・慶信との交流を通して、死と救いの問題を考察した。特に覚信が死の自覚のなかで、親鸞のもとを訪ね、『西方指南鈔』を写して、親鸞の近くで死を迎える一連の記述に注目し、親鸞が覚信の死を、哀れさと尊さの二面から受けとめていることなどを明らかにした。覚信の死の自覚と成長は、真宗からの看取りを考える手がかりであり、それに基づいて、仏教を背景としたタ−ミナルケアの意義を6点にまとめて論じた。
7『仏教と人間』 中西智海還暦記念論文集1994(平成6)年12月永田文昌堂305〜328
「法然・親鸞・覚如からみた死苦とその救いの問題」
 法然・親鸞・さらに覚如において人間の死のプロセスにおける死苦や死に様の問題がどのように受けとめられているかを考察し、最後に、尊厳死およびそのリビング・ウィルの意義と問題点を6点にわたって指摘した。
6高島學司編『医療とバイオエシックスの展開』1994(平成6)年3月龍谷大学
社会科学研究所
叢書21

法律文化社
230〜264
「仏教からみた安楽死・尊厳死の問題」
 まず生命倫理における安楽死・尊厳死の理念とその背景を踏まえ、アメリカ・オランダにおける内容を分析し、次に日本における安楽死の裁判、および日本尊厳死教会の足跡を紹介し、具体的なリビング・ウィルの書面を検討し、その意義と問題点を指摘した。最後に法然・親鸞において死苦とその救いがどのように考えられていたかを考察し、浄土教からみた尊厳死の意義を3点から論じ、また浄土教のめざしているものと尊厳死の理想とするものとの質的な違いについても、6点取り上げて、尊厳死の問題を指摘した。
5『いのちの看取り ―仏教的ターミナルケアへの展望』1993(平成5)年3月佛教大学・
仏教とターミナルケアに関する研究会
四恩社
278
 佛教大学において文部省科学究助成一般研究(B)「仏教とタ−ミナルケアに関する研究」が行われたが、その研究推進のために、佛教大学の主催による公開シンポジウムが開催された。この書は、その公開シンポジウムの発表内容を一成果として出版したものである。柴田高志病院長の「タ−ミナルケアをめぐる諸問題」という基調講演に対して、鍋島がコメントしたものが記載されている。
4『ビハ−ラ活動 ―仏教と医療と福祉のチームワーク』1993(平成5)年3月浄土真宗本願寺派
ビハーラ実践研究会編
本願寺出版社
95〜122
357〜384
「浄土教における死の看取り ―仏教と介護の接点を考える」 (95〜122頁)
 仏教における死の理解、および死を看取ることの意義について考察した。日本浄土教における源信が、『往生要集』臨終行儀にどのような死の看取りを提示しているかに注目し、その理念に基づいて生まれた二十五三昧会の活動を考察した。さらに法然における死の問題、その門下における弁長、良忠の死の看取りの内容、親鸞における死の超克を明らかにし、最後に浄土教に基づく死の看取りの意義を4点にまとめた。
「仏教からみた脳死・臓器移植の諸問題」 (357〜384頁)
 仏教の基本的な生命観は、さまざまな生命に価値の上下をつけることなく平等に慈しみ、あらゆる生命の尊厳性を育み護るところにある。しかし脳死・臓器移植について仏教の立場から意見を求められたときには、それを支持する意見と慎重にするべきであるとする意見に分かれる。そこでさまざまな意見を紹介しながら、これからの臓器移植に対する仏教者の対応の方向性について論じた。
3『仏教の生命観』1990(平成2)年8月日本仏教学会編
平楽寺書店
181〜197
「親鸞における生命の問題」
 第一に仏教における生命尊重の態度を原始仏教、大乗仏教にたずね、人間と動物と自然とを連帯的に捉えていることを明かし、「慈心不殺」という精神、すなわち殺生行為を抑制しつづけてきたことに注目した。第二に『楞伽経』の思想、および親鸞の肉食に対する対応を『浄肉本』などによりながら考察し、殺生罪への内省の態度を分析した。第三に親鸞の生命観を身心一如の把捉と草木成仏思想の角度から分析し、すべての生命体を自らの仲間として、全人格的に捉える姿勢を明らかにした。
2西光義敞編 『援助的人間関係』1988(昭和63)年6月永田文昌堂195〜224
「死を媒介とした援助的人間関係 ―ホスピスケアの意義と課題」
 人間の死に向かう苦痛を社会的な視点と精神的な視点の両面から考察し、表層的苦痛、深層的苦痛・根源的苦悩に分けて分析した。その孤立した人間をいかに支え、共に生きることができるかについて、ホスピスケアの歴史に学び、全人的に看取る方向を論じた。またキリスト教における死の捉え方と救済の思想を考察し、最後に死の看取りにおける問題点、すなわち「望ましい死」の理念によって、逆に死が管理化される危険性があることを指摘した。
1樹心叢書4 『死を看取る心』1986(昭和61)年10月永田文昌堂189〜269
「ホスピスムーヴメントと仏教・親鸞 ―現代における死の看取りの問題」
 現代は個人の死を忘れた社会である。ホスピスとは社会から拒絶された死にゆく人々などを精一杯生きるように暖かく援助するケアであり、運動である。そこでこの論では、キリスト教のホスピスケアの精神を紹介しながら、人間における死の苦痛や苦悩を分析し、さらに仏教・ 浄土教が歴史的にどのように死に向き合い、それを受けとめてきたかを考察した。死の看取りとは、患者自身が最後まで生を全うできるように支援することであるとともに、死に向かう人々を通して、看取る人自身が人生の意味を反省し、再発見することにもなる。親鸞は、臨終に仏の来迎があるように心の準備をする必要はないといい、すでに今ここで仏に摂取されていることを明かした。すなわち、親鸞は平生において常住なる世界を見出すことによって、死態の善し悪しにとらわれなくてもよいと明かしている。

著書(単著)  >> 共著

5 『親鸞の生命観 縁起の生命倫理学』 2007(平成19)年
5月10日出版
法藏館
1―488頁
  一つの命は38億年の歴史を有し、宇宙との不可思議なつながりのなかで存在している。この研究書は、仏教生命観を基点とし、新しい生命倫理の諸課題に、どのようにあるべきかという指標を解明している。仏教生命観とは、支えあって生かされている縁起の知見を意味し、その視座から、脳死・臓器移植、ヒトES細胞、中絶、ヒトクローン、緩和ケア等について、1つの方向性を示す。命を大切に思う姿勢、その答えは一つではない。宗教的な倫理はとかく新しい生命操作に規制をかけるためだけに機能してきた。しかし新しい技術によって生まれる命と私たちの命との絆を育むことがこれから重要である。

法藏館
電話075-343-5656
A5判
6615円(税込)
ISBN 978-4-8318-2417-2
4 The Emancipation of Evil Beings: Shinran’s Reflections on Human Nature May, 2004 Institute of Buddhist Studies, CCSBS On-line Publication Series 4, pp.1-71
 ※この拙稿英文は、単著で、米国仏教大学院のホームページ上でのオンラインの出版物として公開されている。
 この論文はPDFファイルで読めます。http://www.shin-ibs.edu/pdfs/NabeFour.pdf
3 『アジャセ王の救い
― 王舎城[おうしゃじょう]悲劇の深層 ―』

The Emancipation of King Ajatasatru:
In the Depths of the Tragedy at Rajagrha Castle
2004(平成16)年5月 方丈堂出版
 人はそれぞれ、誰にも比べられない物語をもっている。
アジャセ王の救い 最愛の人を失ってしまった悲しい物語、誰かと深く傷つけあってしまった物語、心の絆を育んで障碍[しょうがい]を乗り越えた物語、努力しても失敗ばかりの物語、決して打ち明けることのできない物語・・・。
 人は、本来、独りぼっちである。生まれてくるときも、死ぬときもたった一人である。しかし誰もが心の底では独りぼっちであることに気づいたとき、そこから相手に対する無上の優しさも生まれてくる。たちどまり、一人だけで抱えている物語を相互に共有しあうことが、本当の優しさであるといえるかもしれない。
 『アジャセ王の救い ― 王舎城[おうしゃじょう]悲劇[ひげき]の深層 ―』は、父と母への恨みが原因となって、怒りのままに父を殺し、母をも傷つけようとしたアジャセ王が、父の死後、その罪にもだえ苦しみながら、悲しみのなかで、よき友、ギバやよき師、ブッダにめぐりあい、救われていく物語である。アジャセの殺意は、父親から受けた愛情が偽りだったことに対する怒り、そして、信じていた母親からも愛されていなかったのではないかという虚無感や寂しさからうまれたものであった。アジャセは、父親との絆、母親との一体感を喪失してしまったとき、自らの存在の意味を見失って苦しみ、それが怨みや殺意に変わっていった。
 この物語のなかには、幼児虐待[ようじぎゃくたい]・尊属殺人[そんぞくさつじん]・教唆罪[きょうさざい]・エゴイズム・罪責感[ざいせきかん]・占い・宿命論など、いつの時代にもみられる人間の現実が描かれている。
 この書では、『アジャセ王の物語』すべてを<現代語訳>にして読みやすいものにした。また、その物語の深層を、仏教の心を通して明らかにしようとしたものである。
フロイトの「エディプス・コンプレックス」と異なる顔を持つ、「アジャセ・コンプレックス」の真実と何か。アジャセ王の悲しみと真実を、そして、傷ついた人間が生きる道を、読者のみなさまと共に探っていきたい。

方丈堂出版 〒601-1422京都市伏見区日野不動講町38-25
TEL: 075-572-7508 FAX: 075-571-4373

【bk1】
2 "Shinran's Approaches towards Bereavement and Grief: Transcendence and Care for the Pain of Separating from Loved Ones in Shinran's Thought" Aug. 2001 CCSBS On-line Publication Series 3. Institute of Buddhist Studies Press. Berkeley
 ※この拙稿英文は、単著で、米国仏教大学院のホームページ上でのオンラインの出版物として公開されている。
 オンライン出版のホームページのアドレスは次の通りである。http://www.shin-ibs.edu/ccsbs4.htm
1 『死別の悲しみと生きる ―ビハーラの心を求めて―』 2001(平成13)年7月 本願寺出版社 全25頁
 本当につらいことについては、人は、ほとんど語らない。人びとの言うにたえない親鸞は悲しみに深く共感し、抜け出すことのできない悲しみを3つの角度から和らげようとしたことを明かした。死別の悲しみに沈む人や、その人の悲しみを理解し、側面から力づけてあげたいと願う人のためにまとめた書である。


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