浜中ゼミナール所属の法学部生へのメッセージ(希望者含む)

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<はじめに>

 浜中ゼミ(計量政治学・比較政治学・国際政治学)で卒業論文を書くつもりの学部学生は、次のことに注意していただきたい。

 このゼミナールは龍谷大学法学部の学生、および国際関係コースに属している他学部生を受け容れることができる。

  浜中が担当している専門講義科目(「現代世界の地域紛争」「中東政治論」)は所属コースにかかわらず、可能な限り履修すること。

  法学部内の所属コースを選ぶなら「国際政治と法コース」にすること。理由は政治学系の講義の多くがコア科目になるため。もしくは「現代国家と法コース」か「司法コース」なら認められる。

「市民生活と法コース」は民事法系、「犯罪・刑罰と法コース」は刑事法系のゼミ向けなので、浜中研究室を含む政治学系ゼミを志望する場合は避けるべき。

  「社会統計学のすすめ」および政治学系科目(「政治学原論」「国際関係論」「国際政治論」「西洋政治史」「ヨーロッパ政治論」「アフリカ政治論」「アジア政治論」「中国政治論」など)を同時履修していることが望ましい。

  社会科学の色々なアプローチ、特に計量政治分析の手法を身につける意欲を持っていること。統計解析言語Rを操り、プログラミングを学ぶ意欲を維持すること⇒2023年度から演習Iで実施。

  3回生になったら「政治学文献講読A」「政治学文献講読B」のどちらかを履修することが望ましい。英語力を高める必要を感じれば「時事英語入門」「法政応用英語」「上級英語」などを履修すること。

  中東政治研究をテーマに選ぶ場合は、選択外国語「アラビア語」「ペルシア語」「トルコ語」のいずれかを履修するのが望ましい。

 上で「望ましい」とあるのは強制ではない。忖度の必要はないので注意されたし。

 

<相性について> 

 大学生活の学習面における中心はゼミ活動であると考えてもらいたい。したがってゼミ教員およびメンバー(ゼミナリステン)との相性は思いの外大きい。

基本的には連絡・相談を欠かさず、約束事を守れる人(つまり常識のある人)なら、私との関係は大丈夫だと思う。

また一度こちらが指導・示唆したことは、以後きちんと守ること。指導内容を無視する振る舞いは人間関係の破綻につながる。

私は勤勉で実直かつ向上心のある学生を好む。「ゆるいゼミ」運営はお互いの時間がもったいないので、浜中研究室の辞書には存在しない。

 

<ゼミに対する基本的な考え方>

 私にとってゼミは単なる授業ではなく、「学生が研究者見習いとしての訓練を受ける場」である。

 訓練する以上、指導教授はプロの研究者として、自分の専門的能力を発揮できるテーマを学生に選ばせなくてはならない(下の<研究テーマの自由度について>も併せて読んで欲しい)。

 このゼミの主な研究対象は「過去の外国における戦争や対立」のような非日常的な出来事なので、フィールドワークやヒアリングのような体験型の学習とはあまり相性がよくない。

 (海外でフィールドワークする資金と、外国語でインタビューができる語学力があれば別だが、本学法学部の平均的な学部学生には無理だと思われる。)

 このゼミにもランチツアーなどのエクスカーションイベントはあるが、あくまで「頑張っている学生向けのおまけ」でしかなく、本筋ではない。

 以上のことから、比較的短期間で修得可能な計量分析の基礎的技術を教授し、プロレベルの研究に接近できそうなスタイルのゼミをすることに落ち着いている。

 また、学生はゼミナール教員に対して「やさしさ」を求める傾向にあるようだ。これは人当たりが良かったり、辛辣な言い方を避けたりすることだと受け取っている。

 正直に言って、私にこのような「やさしさ」は無い。と言うより、ゼミの指導でこのような「やさしさ」は必要ないと思う。単なる甘やかしに過ぎないからだ。

 もちろんハラスメントに相当する言動は避けるべきだが、ゼミは研究活動を通じて学生が成長する場であるため、時には手厳しい指導が必要な場面もあるだろう。

 厳しい指導が必要な場面で、お茶をにごすような「やさしさ」は、学生自身のためにはならないし、指導する側のメンタルにも良くない。

 

<ゼミの忙しさについて>

 私立大学文系のゼミナールとしては常識的な部類に入ると思われる。ゼミ生のモチベーションが高ければ、それだけ高いレベルを目指すことになる。モチベーションが低ければ、その程度のゼミになるだろう。

 とは言うものの、可能な限り高いレベルを目指したい。レベルが低いとゼミに使う時間がもったいないからだ。

最先端の研究内容を調査するので、翻訳文献および英語で書かれた文献を読むことが多くなる(最近は読む文献が英語論文ばかりになっており、私にとってもハードだが自身の勉強になっている)。

研究室型運営による指導(中東政治の計量分析)を希望する場合、私からゼミ学生への要求水準が高くなる。

 

<ゼミの掟>

 現任校に来てから3年ほどの間に、いくつかにわかに信じがたい事態に直面したので、「掟」を制定した。

龍谷大学法学部は演習が必修ではないため、意識の低い学生は「講義より単位修得が容易」といった理由で履修し、「連絡すれば休める」とばかり欠席が多くなる事態が発生している。

新規の履修者に対して、「人として最低限度のルール」を示し、これを「掟」とする。

破った場合は演習単位を不可とし、私との関係を自ら断絶したと見なし、以後の研究指導は行わないものとする。

2021年以降の状況は少なくとも私にとってかなり心地よく、このような掟を発動する状況下には無い。今後もこの状況を維持したい。)

 

・演習は無遅刻・無欠席が原則である。

・合同ゼミ、合同報告会など、一般講義の期末試験に相当する成績評価の機会を無断で欠席する、あるいは欠席事由に虚偽があるなどの著しい不正行為があった場合は、演習単位を不可とする。

・私から「〇〇について来週までにやってきておいて下さい」と指導され、次の演習までにやれなかった場合、その回の演習は成立しなくなる。かかる事態が発生した場合、履修辞退勧告を行う。

 

<モチベーションについて>

 「本当に面白いものは入り口の敷居が高い」という信念を私は持っている。安直な道に流れることなく、自己管理できる人たちに来てもらいたい。

 何事も本気でやらないと面白くはならない。「研究とは大変だが面白いものなのだ」ということを分かってもらいたい。

 

<研究活動の形式的なこと>

 ゼミ入りした場合、「演習III」および「卒業研究」を履修することになる。 ゼミ入りの時点で研究テーマが決まっていることはほとんどないので、テキストの題材は指導教員が決定することが多い。

 「演習II」に入ったら研究テーマを確定するように努力すること。これに伴い個別指導も充実させる。研究室型運営を選んだ場合、研究テーマは私のテーマおよびその周辺テーマとなる。要求レベルがかなり高くなるので注意すること。

 (研究室型運営だと学生の研究によって、私自身の研究も進むことになり、双方の利益となる。それゆえ、この指導を望む学生には特別な恩恵が与えられる。)

  言うまでもないことであるが、ゼミナール活動は無遅刻・無欠席が大前提である。私は「ゼミに入らないのなら大学に来た意味が無い」という信念を持っているので、無遅刻無欠席はごく当たり前の常識だと思っている。

もっとも物事には限度というものがあるので、やたらと取り締まったりはしない(前任校で交通事故に遭ったにも関わらず、足を引きづってゼミに出席した学生が居て、「ゼミに出ている場合ではない。すぐ病院に行け。」と言ったことがある)

 

<研究テーマ>

 各自の研究テーマは計量政治学・国際政治学(紛争研究)・比較政治学(アジア政治)の範疇に収まる範囲において自由である。

日本政治史の研究を行う場合、ヨーロッパ政治史・外交史研究を行う場合、先進国の福祉政治を行う場合、アフリカ地域研究を行う場合は別のゼミが望ましい。

(上記のテーマなら最適の教員が法学部に所属している。)

指導教員である浜中の研究テーマはこちら。下記の中から具体的なテーマを選ぶと濃密な指導を受けることができるだろう。研究室型運営による指導の場合、確実に下のいずれか(で、中東政治の計量分析)のテーマになる。

 (1)政治体制の研究(権威主義体制の安定と動揺、革命・民主化、クーデタなど)

 (2)投票行動・政党システム(日本を含む先進国でも良いがポリサイのスキルが必須)

 (3)安全保障研究(戦争、地域紛争、テロリズムなど)

(4)世論や政治文化の研究(ポリサイのスキルが必須)

(5)政治アクターの研究(ムスリム同胞団、ヒズブッラー、ハマース、ISなど)

(6)移民・難民の研究(欧州のアラブ系難民など)

(7)民族や宗教と政治に関する研究(イスラーム、ユダヤ教など)

 これら以外のテーマ(例・20世紀前半のイランの政治史、インド・パキスタン紛争、在日ムスリムの社会事情など)でも指導するが、ある程度自力で研究しなければならないと覚悟して欲しい。

 政治思想に関する研究、例えばムスリム同胞団の思想、イスラーム過激派の思想などについても指導はする。ただし私の専門は政治科学(PoliSci)なので、思想系のテーマは不得意である。

 

 このゼミにはしばしば中国人留学生が所属することがある。中国人留学生は自国(中華人民共和国)に関する研究をやりたがるが、私自身は中国に対し「権威主義体制の単なる一事例」という以上の関心を持っていない。

中国を卒業研究の対象に選んでも拒絶はしないが、私は一般的な権威主義政治に関する知識以上のものを持ち合わせてあらず、また中国政治を詳しく勉強しようという意思も意欲もない。

(なので中国政治を専攻する場合でも、可能な限り比較政治理論を重視した研究テーマか計量分析を用いる実証的なテーマを選定するよう指導する。中国政治のトリビアルなトピック[中国の政治史とか思想など]を選ばれても、指導のやりようが無い。)

この場合、必然的に研究室型運営の指導にはならないので、研究室型指導を受けているゼミ学生に与えられる恩恵は一切無い。

ゼミ所属を希望する場合は、先輩ゼミ学生に対して友好的に振る舞うことを求める(集団のゼミ活動に非協力的な振る舞いをした時は指導を拒否する)。

また他の日本人学生と全く同様に扱い、留学生として特別な配慮は一切しないので、その旨を理解した上で志望すること。日本語能力試験のN1レベルを要求する。

(以上の要求はこれまで受け入れた中国人留学生の振る舞いから得られた反省に立っている。)

 

<研究テーマの自由度について>

時折、指導教員の専門とはおよそかけ離れた、全く関係の無いテーマを「自分にとって関心があるから」という理由で選択し、卒業研究をする学生がいる。

理工系の学部ではまずあり得ない(例・電気工学研究室で機械系やバイオ系のテーマを選ぶことなどあり得ない)ことだが、日本の政治学系ゼミでは学生がテーマを自由に選択するような指導(例・比較政治のゼミで地球環境政治をテーマに選ぶなど)が伝統的になされてきた。

現在の私は卒論テーマの極端に自由な選択には反対している。理由は3つある。

1)ゼミ生の研究内容がバラバラだと発表があっても教員以外コメントできず、ゼミの時間が報告者以外、有意義でなくなる。

2)図書館でたまたま目にした(もしくは教員に指示された)数冊の本を読んでまとめただけの、お手軽でつまらない「卒論」という名のゴミになる。

3)学生にとって有用と思われるスキル(例えば外国語の読解能力や統計分析のスキル)が全く身につかない。

 ゼミ学生側の怠惰や能力不足、学生数が多すぎるなどの理由で、教員の指導が不十分になると私の経験上、卒論はほぼ100%の確率で(2)のパターンに陥る。

 それゆえ時々見かける「卒論のテーマは自由」という方針は、私に言わせると無責任である。

 

<大学生らしい自主的な研究体制の組み立て>

 龍谷大学は総合大学なので、様々な分野の研究者が深草キャンパス内で活動している。ゆえに自分が関心を持ったテーマに関して、私よりも国際学部など他の部局に所属する教員の方が専門に近い場合がある。

 その場合は臆することなく、その教員にメールなどでアポイントメントを取って面会するべきである。

 可能ならば、その教員が法学部で開講している講義を履修すべきである。

 

 関西には多くの大学が存在しているので、場合によっては他大学の中東研究者にコンタクトを取った方がいいこともある。個人的に親しくしている研究者と会いたい場合は、私から紹介することができる。

 

 研究指導に際しては、相手が迷惑がらない限り、専門の研究者から積極的にオピニオンをもらうべきである。礼を失することにないように注意すれば、相手も自分の卒業研究に関心を持ってくれるものと思う。

 当然のことながら、他学部において私の専門(比較政治・中東現代政治)に関心を持つ学生がいれば、臆することなく連絡を取って欲しい。

大学は自主性を重んじる。自ら動けば、思いがけないものが手に入る。

 

<研究費について>

 理工系学部の学生は研究室選択の際、それぞれの研究室がどれほど研究費を取っているのかは考慮に入れるらしいが、人文社会系の学生は研究費の存在をほとんど知らないようである。

少し考えれば分かることだが、研究にはお金がかかる。一般的なものは大学から支給される学内の研究費である。これは教員個人が自分の研究に使える資金であり、学生指導に回すことはできない。

日本の大学教員が受給できる学外の研究費でもっとも一般的なものは日本学術振興会が管理している科学研究費(科研費)である。

一般的に言って、科研費を連続して受給している教員は活発に研究活動をしており、多くの成果があがっていると考えて良い。学生が当研究室を評価するとき、この点も見てもらいたいと私は考えている。