研究科長メッセージ

研究科の「専門性」と「研究能力」

法学研究科は、法学・政治学という専攻分野において専門職業人に必要な専門性を養成すること、そして、その研究能力を育むことを目的としています。とはいえ、この「専門性」と「研究能力」の間には、一種の緊張関係があることを見過ごしてはならないと思います。ここでは、私が検討してきた問題関心を例に、この問題に言及するなかで研究科において学ぶ意義について考えてみたいと思います。

現代の必要が描く「専門性」

「世界一の安全」を誇るこの国においても、すでに半世紀近く深刻な犯罪不安が語られています。刑罰機構の中心に位置する刑務所も「治安の最後の砦」と評され、そのあり方が問い返されています。そこでは再犯予防の要請に必ずしも柔軟に対応しきれぬ刑務所という場の困難と新たな社会内での犯罪者処遇方策の活用が語られています。また、行政一般の効率的運営を掲げる政府の登場以降、行刑分野への自由な発想に基づく民間活力の導入も唱えられる状況にあります。昨今では、すでに1世紀を超える社会内処遇にGPSを駆使した新しい電子監視の技術を導入し、また、刑罰の執行を国の専権事項とする思考枠組を打破し、新しい官民協働刑務所における行刑のアウト・ソーシングのための実践的知見が求められています。確かに、保護観察における電子監視の導入を検討し、その技術を駆使した新しい刑罰形態を開発すること、また、国の公務員と民間職員の行刑業務の切り分け等のノウ・ハウに精通することは、現代の行刑を担う専門職業人に必要な「専門性」を身につけることであるのかもしれません。

刑務所の歴史と課題の位相

しかし、そうであるにしても、私はそうした「専門性」を大学院で学ぶ皆さんには、これまで自明のこととして考えなかったなにかを疑う、いままで考えなかったことを考える「研究能力」の意義に目を向けてほしいとも思います。
刑務所の歴史を紐とけば、その昔、17世紀のイングランドの監獄は「死骸に禿鷹が屯するように門前に売春婦が群がる」と評されていました。食事の提供が義務づけられていなかった施設で、囚人労働による自給自足態勢が崩壊したとき、命を保つために当時の囚人は各自で塀の外から必要な物資を融通しなければなりませんでした。結果的に、この差入れの手数料は看守の利権となり施設は彼らの絶対的支配の場となりました。多額の手数料を介して、差入れのほか売春婦の面会と房内での性交渉までもが黙認される反面、その手数料を払えない者は監獄熱の蔓延する房で看守に身ぐるみ剥ぎ取られ死骸となる運命にありました。その1世紀後に姿を整える近代の自由刑構想は、この施設を初めて国家の営造物として規定し、その運営をもっぱら国の官吏に委ねます。近代の刑罰はこの「施設化」と「官営化」を車の両輪にして始動します。
しかし、刑務所収容が受刑者の社会復帰を目的とする以上、社会からの隔離を伴う「施設化」政策は早くからひとつの矛盾として意識され、社会内処遇と社会統制による「非施設化」の政策群が脚光を浴びてきました。そして、20世紀末以降、急速な市場経済のグローバル化のなかで、福祉社会国家、修正資本主義の解体と再編を迫られた先進諸国では、これまで国家が排他的に担ってきた「公共」が、国家、共同体、市場の三者によって再構築され、行刑という公共サービスを担う「官営」刑務所においても「民営化」が推進される事態が現出しているといえます。

自明性を問い返す「研究能力」

行刑を効率的に運営するために、電子監視をいかに用いるか、矯正のどの部分をどのように民営化すべきかといった類の「高度に」専門的な議論は、その過程で「施設化」と「官営化」という刑罰に現れる特殊近代的性格の大きな揺れを踏まえるものでなければ、その変化の本質を見誤るものともなります。また、そうした歴史性の探求は、必ず、そもそも「なぜ、近代の刑罰は刑務所という形態をとるのか」という、これまで自明視してきた課題への研究姿勢に哲学的反省を迫るものともなります。「刑罰を受けている私」というタイトルで作画を求められたとき、多くの人が入ったこともない牢獄のなかに自分の姿を描くのはなぜか、「刑罰=刑務所」という多くの人々の頭の中にある等式が成立する条件はなにか。こうした素朴な問いの繰り返しによって「専門性」をめぐる思考は深められ、自分の取り組んでいた「高度に専門的な議論」の正体を自覚することができるようになるはずです。

近代世界とその基本原則の混沌が語られてすでに長い時間が経過し、最近ではいわゆる反知性主義が跋扈する状況もあります。法学・政治学の洗練された知性が、今こそ求められている時代はないのです。私は、大学院で行う研究とは、その目的がどこにあれ、専門知識の修得以上のもの、「歴史」と「哲学」に裏打ちされた思考の蓄積でなければならないと思うのです。「ミネルヴァの梟」が宵闇を待って飛び立つように、この混迷の時代の闇にあってこそ。皆さんの研究がひと筋の光を生み出すことを願います。

2016年4月
法学研究科長 赤池 一将

法学研究科長 赤池 一将


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