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法学部

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Q1 未成年者の保護について

高校生のみなさんの多くは未成年者でしょう。未成年の間はお酒を飲んだり煙草を吸ったりできないなど、成人した人に比べていろいろな違いがあります。
みなさんはほかにどんな違いが思い浮かびますか?
また、なぜそういう違いがあると思いますか?

A.民法学からの答え

未成年は、親の同意なしに「完全な」契約をすることはできません。また、結婚できる年齢(男18歳~、女16歳~)でも、父母の同意がないと婚姻届は受理されません。でも未成年なら「責任」を負わなくていい場合があるかも…

民法学からの答え

親の同意がないと、「完全な」契約ができない?結婚も?未成年だからといって失礼な…と思ったかもしれませんね。

でもどちらも、十分な判断力があるとは限らない未成年者を保護するために民法が定めるルールなのです。

もちろん、未成年者でも契約自体はできます(だから、高ーい英会話教材を買わされてしまうこともある…)。でも、親の同意を得ていなかったのなら、あとから契約を取り消せるので、「完全な」契約ではない、というわけです(よかった!キャンセルOK!条文は民法5条)。ただし、自由に使ってよい財産、たとえばお小遣いの範囲なら、契約の取消しはできませんので注意しましょう。

結婚(法的には「婚姻」)も、未成年者の保護のために父母の同意が必要と定められています(民法第737条。でも、婚姻自体を認めるなら父母の同意は不要では…という批判もあります。みなさんはどう思いますか?)。

最後に、「責任」について。たとえば、高校生A君が友達とケンカしてケガをさせてしまったり、友達のケータイを壊してしまったとき、ケガの治療費やケータイの弁償費用を支払う責任が問題になります。この責任は、「不法行為」にもとづく「損害賠償責任」といいます。この責任は、未成年者A君自身ではなく親が負うものなのでしょうか?

A君が、自分のやったことが法律上の責任を発生させると判断できる力をそなえていれば──ふつう、高校生ならありますよね!──未成年であってもA君自身が賠償の責任を負わなければなりません(実際にお金を払うのは親であっても、自動的に親が法的な責任を負うのではないのです)。これに対して、たとえば小学校低学年の子がケータイの操作がわからず壊してしまった場合なら、この子自身が責任を負うことはありません。その場合には、その子の監督義務を負う人(通常は親)が賠償することになるのです(民法第712、714条)。

吉岡祥充・民法〕
契約や結婚については、民法の授業で学びます。

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A.刑事法学からの答え

「子どもだからといって手加減せず、厳しく処罰すべきだ。」やせ衰えたこの世界はそんな言葉で溢れています。でも、少年法は、犯罪を行った少年にもその健全な育成を求め、処罰ではなく教育を優先させています。

刑事法学からの答え

「子どもなのに、こんなに残酷なことをするなんて。」「子どもだからといって手加減せず、厳しく処罰すべきだ。」寛容を失い疲弊したこの世界はそんな言葉で溢れています。でも、少年法が、犯罪を行った少年にもその健全な育成を求め、処罰ではなく教育を優先させているのはなぜでしょうか。そして、国連が、子どもに対するこうした特別な保護と援助を、条約という形で各国に求めているのはなぜでしょうか。

フランスの歴史家アリエスは『〈子ども〉の誕生』と題した書物のなかで、少年期というとらえ方が近代の産物であることを明らかにしました。中世までは、幼児期と成人期の間に、少年期とか思春期といった段階をおいて制度や社会を考えるという習慣はなかったのです。幼児期の段階を過ぎるとすぐに小さな大人として扱われました。別のものとして観念されないのですから、犯罪を行った子どももそうした大人と同じように扱われました。

近代世界は、合理的な個人の自由な意思決定を社会構成の骨格にすえ、同時に、それが必ずしも容易でない段階として「少年」を制度化しました。そこで、犯罪は、少年が自分にとって何が最善の利益であるかを主体的に判断できなかった結果としてとらえられます。ですから、近代社会は、過ちを犯した少年に、自己の非行を反省するとともに、その問題状況を克服し、新たな成長発達を探ることを求め、同時に、少年の生育環境を整備し、適切な援助を行うことを自らの責務とすることになります。あなたが近代人であるならば、「子どもなのに、こんな残酷なことをするなんて」と嘆かずに、まずは、「子どもだから、こんな馬鹿なことをしてしまったのだ」と考えることが重要でしょう。

赤池一将・刑事法〕
犯罪や少年法は、刑事法の授業で学びます。

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Q2 アルバイトと労働契約

高校生のA君はそば屋でアルバイトをしています。しかし、時給は閉店時間までで計算されていて、閉店後の皿洗いの時間分の給料はもらっていません。店の主人は、そういう「契約」だといっており、これからも払ってくれそうにありません。

いったい「契約」とは何なのでしょうか?口約束だけで契約書も作っていないのに「契約」になるのでしょうか?また、A君の場合のような「契約」も認められるのでしょうか?

A.民法学からの答え

契約は合意です。暗黙の合意でも契約になるので、A君とそば屋の店主は契約を結んでいるとみていいでしょう。双方の合意で自由に契約を結ぶことができ、結んだ契約は守らなければいけない、というのが原則です。

民法学からの答え

みなさんが契約といってすぐに思い浮かべるのは契約書でしょうか。でも、契約を結ぶときに必ず契約書を作るとは限りません。契約は人と人との「合意」です。「合意」が成立していれば、原則として契約は成立しているということになります。みなさんがコンビニで弁当を買うときには、コンビニ(の店員)と、この弁当を500円で売ってください、ええいいですよ、というやりとりを、口には出さないとしても、していますね。明確に自覚していないかもしれませんが、その時に弁当を売買するという契約を結んでいるのです。A君とそば屋の店主の間にはA君がアルバイトとして働くことについての合意がありますから、たとえ契約書を交わしていなくとも契約を結んでいることになりますね。

こう考えると、私たちの生活が多くの契約によって成り立っていることがわかります。アルバイトをするときも、スーパーで買い物をするときも、契約を結んでいることになります。私たちは契約を結んで色々な社会関係を自由に形成していくことが出来ます。契約の相手も内容も、もちろん契約を結ぶかどうかも自由に決めることが出来るというのが原則です。そして、当事者が契約したことを実行しない場合には、国が求めに応じて様々な形でそれを強制するという強い効果も伴います。これが「契約の自由」といわれることです。

店主は「閉店後の皿洗いの時間分の給料」は支払わない契約だといって、A君は必ずしもそうは思っていないようです。このように契約の内容がどのようなものかをめぐる争いもよく生じますが、「契約」は「合意」ですから、両当事者がどのような合意をしたかを明らかにすることにより解決することになります。

「契約の自由」が原則ですが、公正な社会を維持するために法律等で様々な制限が課せられることがあります。このケースでは特に労働法という分野の法律が関係しそうですね。

鈴木龍也・民法〕
契約の自由については、民法の授業で学びます。

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A.労働法学からの答え

店の主人は、労働基準法に基づいて、A君が実際に働いた時間分の給料を支払うことが必要です。口約束だけでも「労働契約」が結ばれているといえますが、労働基準法違反の契約部分は無効です。

労働法学からの答え

店の主人がいうような「契約」があるとするなら、A君は閉店後は皿洗いをせずに帰っても良いことになります。しかし、次の日の営業を考えると閉店後の皿洗いが業務として必要なことは明らかです。また、主人はA君が閉店後に皿洗いをするのを知っていたはずです。法的には、A君に閉店後の労働について「黙示(もくじ)の指示」をしたと考えられます。労働基準法では、労働者が使用者の支配下にいる時間が労働時間ですので、閉店後の皿洗いの時間も労働時間です。労働時間であれば、それに対応した時給を支払う必要があります。

労働関係は、働く側(労働者)と働かせる側(使用者)の交渉力や経済力に大きな格差がある特別な関係です。こうした関係では対等で自由な契約は結べません。そこで、できるだけ実質的に対等な労働条件決定ができるように、労働基準法などの労働法が大きな役割を果たすことになります。労働基準法はアルバイトも労働者として保護していますし、1人でも労働者を使っている使用者に適用されます。使用者はふつうは会社ですが、個人業者も使用者となります。例外はなく、小規模な飲食業者も適用対象です。

なお、15分や30分を賃金計算の単位にして、それ未満を切捨てる例もあるようですが、実際の労働時間を1分単位に計算して賃金を支払うことが必要です。

賃金不払いがあることを労働基準監督署(地域にある国の機関)に申告できます。労働基準監督官が店の主人を調べて指導をしてくれます。時効は2年ですので、すぐに動けなくても、実際に労働していたことを示せる記録を残しておくことが必要です。毎日、仕事が終わって家や友人に電話やメールをしていたところ、そのデータが証拠として役に立った例もあります。

なお、午後10時以降、18歳未満の年少者を働かせることは禁止されています(労働基準法61条)。その場合でも、実際に働いた分の賃金支払を請求できます。

〔木下秀雄・社会法〕
労働契約は、労働法の授業で学びます。

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Q3 選挙での投票率低下

2016年7月10日に実施された参議院通常選挙の投票率は、選挙区で54.69%、比例代表で54.70%でした。国民主権というけれど、実際には半分強の有権者しか投票に行っていないのが実情のようです。これはどういうことなのでしょうか。

A.憲法学からの答え

主権者である国民の代表者を選ぶ選挙は重要ですが、投票は国民の自由な権利ですから義務づけは望ましくありません。その結果投票率が低くなることもありますが、国民の主権者意識を高める工夫が必要になります。

憲法学からの答え

国民主権とは、国の政治のあり方を最終的に決めるのは国民だという考え方で、国の政治を支える最も根本的な考え方です。この国民主権原理を具体的な形にしたのが民主主義です。日本国憲法は前文で、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と規定しています(代表民主制)から、国民の代表者を選ぶ選挙制度はとても重要になります。

その場合、選挙(投票)は自由(権利)なのか、義務なのかが問題になります。投票を義務づけたり、投票しなかった有権者に罰金を課したりする国もあります。しかし、国民主権や民主主義の考え方からは、国民が政治に参加するのは権利でなければなりません。また実際に、選挙によって表される国民(有権者)の声は自由な意思によって形成されなければ意味がありません。そこで日本は自由投票制をとっています。そうすると、現実の選挙において投票率(有権者全体に占める投票者の割合)が低い場合が出てくることになります。投票率が低いと選ばれた人は少数者の信任しか得られていないことになりますから、国民の代表としての資格があるのかという疑問がでてきます。

そこで国政選挙ではありませんが、最近の地方自治体のいわゆる住民投票条例では、最低投票率を定める例もあります。2007年に憲法改正のための国民投票法を作る際に、投票権者の年齢を18歳まで引き下げると同時に最低投票率を定めようという意見がありましたが、最低投票率のほうは結局規定されませんでした。公職選挙法では投票率を上げる工夫として、不在者投票、期日前投票さらには外国にいる日本人のための在外投票制度が導入されています。

しかし、こうした技術的な工夫よりも、国民一人ひとりが主権者としての自覚を持ち、能動的に選挙に参加する意識を高めることこそ重要だと言えるでしょう。そのためには、高校までの間に普遍的な政治教育を実施するとか、マスメディアを利用するなどして社会の中に活発な政治的討論の場を作るなどの必要性が指摘されています。

寺川史朗・公法〕
選挙権については、憲法の授業で学びます。

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A.政治学からの答え

投票率は、20歳代の若者の場合にはさらに悪く、30%台に落ち込んでいます。政治家、政党への根深い不信や政治的無関心の広がりが背景にあります。国民の政治参加が民主主義の基本なのですから、この数字はゆゆしき事態です。

政治学からの答え

国のレベルの選挙である衆議院選挙と参議院選挙において投票率が大きく落ち込んでいったのは1990年代以降です。衆議院選挙では、それまでは60%台の後半から70%台を維持していたのが、1996年の選挙ではじめて60%を割るに至りました。参議院選挙では、1995年の選挙で50%を切って44.5%(選挙区)にまで低下しました。その時は、20歳代に至ってはなんと約25%の低さ。つまり4人に1人しか投票に行かなかったわけです。

投票率低下の背景としては、1980年代後半以降に相次いで起こった汚職事件があります。政治家、官僚を巻き込んだ金権腐敗が政治不信をうみ、国民から政治を遠ざけたのです。同時にこの間に多くの政党がうまれては消えていったことにみられるように、政党政治が不安定な状況にあることも一因です。支持すべき政党がないという無党派層が増加したのです。若者世代において特に目立つ政治的無関心も投票率を押し下げています。

さすがに、政府、国会もこれではいけないということで、投票率を上げるために、1997年以降いくどか公職選挙法を改正して、投票時間を2時間延長したり、不在者投票をしやすくしたりしてきました。その効果もあって、その後の投票率は、衆議院、参議院ともいくぶん回復してきています。とはいえ、60%に及ばない投票率は他の先進国と比べても相当低いといわなければなりません。

民主主義は国民の政治参加によって支えられています。そしてその政治参加の重要な方法として選挙があります。地球環境問題や民族紛争など世界大の問題から税金や教育など身近な問題に至るまで、政治が解決すべき課題は山積みです。次代を担う若者が、もっと政治に関心を持ち、選挙も含めて積極的に政治参加することがいっそう重要になってきています。

渡辺博明・政治学〕
投票率低下の問題は、政治学の授業で学びます。

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Q4 外国人の子どもの学習

日本にはたくさんの外国人が住んでいます。大人もいれば子どももいて、日本語の話せる人とそうでない人がいます。日本語を話せない外国人の子どもたちも学校で勉強したいと思うはず。でも、それができないとしたら…

A.憲法学からの答え

すべての子どもには差別なく発達する権利があります。外国人の子どもの中には費用のかからない日本の学校に通わなければ勉学の機会が奪われてしまう人もいます。子どもの将来を考えた場合、それでいいのでしょうか。

憲法学からの答え

日本に住んでいる外国人の子どもたちの中には、日本人と一緒の学校で日本語を勉強したい、あるいは日本語で勉強したいと思う人もいるでしょう。「児童(子ども)の権利に関する条約」という条約があり、日本も締約国になっています。この条約によれば、子どもたちの生存と発達を確保するため、締約国は最大限の努力をすることが義務づけられています。すべての子どもたちに、いかなる差別もなしにそれらの権利を保障することが求められています。では、日本の政府や自治体は何をすべきでしょうか。

日本語が話せない外国人の子どもが日本の学校で日本人と一緒に勉強することは、相互の文化の理解のためには大変いいことですが、その場合、それぞれの国の文化や国語の勉強が十分できない恐れがあり、かえって外国人の子どものためにならないという意見もあるでしょう。日本語が話せない外国人の子どもたちのためには、その国の政府や人々が独自の学校をつくるべきだという見解もあるでしょうし、現にその種の学校も存在しています。日本語や日本文化の学習はそのような外国人学校でそれぞれの国語と並行して行えばいいとも考えられます。

しかし、現実にはそのような外国人学校をつくっているのは、相当数の自国民が日本に住んでいる国に限られています。また、外国人学校は大都市にしかありませんし、そのような学校に通うのは費用等の点でも負担が大きいのです。日本の国はそのような学校を支援すればいいとの意見もあるでしょうが、制度的に難しい問題があります。費用のほとんどかからない日本の学校に通わなければ勉強する機会が奪われてしまう外国人の子どもも少なくありません。しかるべき時に適切な教育を受けることは、子どもの将来の生存のために必要不可欠のことです。子どもは、国籍等によって差別されるべきではありません。これらのことを考えると違った答えも出てきそうです。

濱口晶子・憲法〕
子どもの権利については、憲法の授業で学びます。

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Q5 イラク戦争の正当性

現代においても戦争はなくなっていません。戦争があると、多くの人が亡くなり、また多大な被害が生じます。普通に考えれば、戦争はない方がいいと思うのに…
たとえば、イラク戦争は正しい戦争だったのでしょうか。

A.国際政治学からの答え

国際政治は、国内の裁判所のような罪と罰や正悪を判断する機関のない、力の世界です。でもイラク戦争が示すように、大国の行動だからといって、それが国際社会で正しいと認められるわけではありません。では、決まらないままでしょうか?

国際政治学からの答え

国際政治の世界でも、ジャングルの掟のように力だけで正義や悪が決まったり、政策を実行できる訳ではありませんし、「勝者が正義」ではありません。国際政治にも一応のルールがあり、特に大切なものは道義、正当性と手続きです。

その点では、米英によるイラク攻撃は国連の安全保障理事会の決議がなかったので、現在の国際社会のルールに基づいていません。でも、米英のような大国は戦争を開始し、占領を続けています。それは大国の対外政策を他の国や国際機関が実力で止めることは実際にはできないからです。だから「力の世界」といえます。しかし、現在のイラクでは米英などによる占領政策がうまくいかず、戦争状態が続き、イラク国民だけでなく、世界の人々から戦争と占領への批判の声が高まっています。

米英がイラク攻撃を正当化する根拠は存在しなかったのですから、いわゆるえん罪です。でも、米英は占領を止めず、イラク攻撃が間違っていたと認めていません。国連などで米英政府への非難決議も出されていません。日本政府も米英によるイラク戦争を支持し、イラクへの自衛隊派遣、クウェートからイラクへの米英軍人・物資の輸送を行いました。不思議ですが、これが現実の国際政治です。

でも、「力がすべて」という状態が永遠に続かないことは歴史が示しています。道義や正当性のない戦争や占領は、その地域の人々の抵抗や国際世論の反発・行動によってやがて失敗し、撤退しています。つまり、最後は歴史が「正悪」を決めると言えるでしょう。でも、その間の人々の苦しみは大変なものですので、国際的なルールや世論、それを大国にも守らせる仕組みがとても重要なのです。

濱中新吾・中東政治論〕
国際社会での政治現象については、国際政治の授業で学びます。

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